中村 隆さん

Takashi Nakamura

会社員

宮古の満足度200%の宮古生まれ宮古育ち。地域のために活躍中の消防団員

PROFILE

1973年生まれ。宮古市出身。宮古北高校卒業後、パンチ工業入社。2017年に25年間勤めたパンチ工業を退職し、株式会社オーレックス岩手工場に入社。2024年、6年間勤めたオーレックスを退職し、株式会社角登商店に入社。30歳で宮古市消防団第9分団に入団し、2008年結婚を機に 第39分団へ転属。妻と義父と義祖父の4人暮らし。

俺から消防を取ったら何が残んのや?

お仕事内容を教えてください。

ガソリンスタンドで勤務しています。お客様の車に給油をしたり、今の時期ですと、タイヤ交換やオイル交換もしますし、灯油を販売したりもします。実は、ガソリンスタンド勤務は去年からで、それまではずっと工場勤務でした。

工場勤務からガソリンスタンドへ転職した理由を教えてください。

今までずっと工場でばかり勤務していたんですけど、接客業っていうのもやってみたいかなって。50歳になったときにそう思い立って退職して。自分に何ができるかと考えたとき、高校生のときに取った危険物取扱者丙種の資格が活かせるかなと思い、ガソリンスタンドを選びました。

お仕事のやりがいを感じるのはどんなときでしょうか?

何もかも初めてのことが多くて。今まで自分がガソリンスタンドでお客さん側だったときは、「あれやってくれ、これやってくれ」と、気軽に頼んでいましたが、頼まれる側になって、簡単なことではないぞと(笑)。要望通りにできた時、「うまくいったな」と、やりがいを感じます。工場勤務だと、その日のノルマがありますから、それに追われて同僚とも話ができなかったりしたんですけど、ガソリンスタンドでは、人とコミュニケーションを取りながら仕事ができるので、とても楽しいですね。

大変だったことや辞めたいと思ったことはありますか?

辞めたいと思ったことはないですね。大変なのは、今、勤務している場所に屋根がないことです。雨や雪が降っても、お客さんが来ればガソリンをつめなければいけませんから。それでも、お客様が必要としているものですから、そこはしっかり要望に応えてやっております。

今後の展望や夢などを教えて下さい。

先日、危険物取扱者乙種4類のという資格を取りました。その資格を生かして、もっと経験を積んで、しっかり先輩方のサポートをできるようにしていきたいと思います。

では、仕事以外の時間には何をされていますか?

参加しているコミュニティは、消防団ですね。入って20年ですが、今、班長職をいただいていまして。実際の現場では、火を消す方ではなく、車から水を送る役を主にやっています。それと、通信責任者という無線関係を担当しています。

消防団活動をはじめたきっかけは何ですか?

自分の住んでいるところのために何ができるかと考えていたときに、消防団員から入るように勧められたんですよ。でも、うちの親からは止められていたんです。「消防に入れば大変だ、大変だ」って。なので、親には内緒で入団届を書いて入団しました。

消防団活動のやりがいや魅力は何ですか?

小さい頃から消防演習などを見に行っていて、親しみはありました。本職の消防職員になりたいと思っていた時期もあったんですけどね。今、私の住んでいる新里地区では、災害があれば、消防署の新里分署より先に、我々消防団が災害現場につく可能性が高いんですよ。その時に、本職の方々と連絡を取り合って、協力して活動するんですが、そういうところがやりがいでしょうか。宮古の消防本部と比べて新里分署にはポンプ車が1台しかないんです。だから、分署と消防団が協力しないと火が消えない。消防車1台だけではまず無理なので。分署の隊員さんたちは、我々消防団員を信頼してくれていますので、それに応えられることが魅力ですね。

ご自身の性格には合っていますか?

「俺から消防を取ったら何が残んのや?」という感じで、自分の中の大きな部分を占めています。まさにライフワークですね。

消防団活動で大変なことはありますか。

いつサイレンが鳴るかわからないことですかね。防災無線の音に対する反応はかなり速いですよ。あと、やっぱり、現場に出れば大変です。自分のいるポンプ車からは、ホースを持って火を消している団員のことが見えないんですよ。ですから、無線を聞いて状況を判断して、水の圧力を調節したりしなければいけません。そういう大変さもあります。

消防団に入団して学んだことは何ですか。

かなり多くのことを学びました。まずは火の怖さ。何もかも全部持っていって、みんな灰にしてしまいますからね。火は本当に怖いです。

印象に残っていることを教えてください。

台風のときのことは印象に残っていますね。土砂崩れが発生して、その現場の近くに一人暮らしのおばあちゃんが住んでいるという情報が入り、救助に向かいました。家の中にいたおばあちゃんは、「オラはもう年寄りだがら、もういいが」と、避難を拒んだんです。おばあちゃんをなんとか説得して、おんぶして救助し、ポンプ車に乗せたことを覚えています。あとは、川向かいに家があって、そこにつながる橋があったんですが、川が増水して橋が流れされてしまったんです。急遽、そこに生えていた杉の木をチェーンソーで3本倒して仮の橋を作り、住民を救出したということは記憶に残っていますね。

東日本大震災のときの消防活動について教えてください。

私たちの分団には応援出動の指令が出て、3時間かけて田老に行きました。海が近づくにつれて、焼けている匂いがしてくるんです。集合場所についたとき見た光景は忘れられません。本当に映画のようでしたよ。そこで私たちは、住宅火災から燃え移って広がった、林野火災の消火活動をしました。消防車は入れませんから、ジェットシューターというリュックサックのようなものに水を詰めて背負い、歩きながら消していったんです。山を登ったり降りたり、何回も往復してね。先ほど、火は怖いという話をしましたが、気がつかないでいると、自分が火に巻かれているんですよ。周りを火に囲まれて、消しながら逃げたという経験もしました。そして、そんな中、津波警報が出たんですよ。もっと高いところに行けという指示が出て避難したんですが、その時はもう「俺、帰れんのかな?」って、不安な気持ちになりましたね。

消防団の活動は今後どのようにしていきたいですか。

やっぱり今、消防団員の減少が問題なんです。今、所属している上の人たちも結構な年齢なので、その方々が退団した後、さらに人数が少なくなるんですよね。なので、若い方々にどんどん入団していただきたい。昔のように消防団は厳しくありません。昔は飲み会でケンカする人もいましたが(笑)今は全然そんなことはありませんよ。どんな人でも入れますから。

宮古での暮らしの満足ポイント・不満ポイントを教えてください。

宮古市街地だけでも自然が多いのですが、新里地区はさらに自然豊かで。もう野生の王国です(笑)。趣味で畑をやったりしていますし、私は宮古の満足度200%ですかね。宮古を出たのは、旅行に行った時くらいかな(笑)。もう高校生のときから宮古を出ないと決めていたので。自分の好きな釣りもできるしね。不満ポイントは、どこかに行こうとすると遠い。ただそれだけで、別に不満はないです。

中村さんにとって、ふるさととは?

これからもずっと守っていかなきゃいけない場所ですね。良い観光地があり、多くの自然もあり。消防団員としてもですけれど、自分としてちゃんと守っていきたいと思います。

中村さんにとって希望とはなんでしょうか。

中高生や若い人たちに、地域のために、進んで協力できる人になってほしいということが希望です。海もあり、山もあり、川もあるということは、それに伴う災害も発生するということです。私が思っているのは、災害発生時、中高生の力って本当に強いものだということです。もちろん、まずは自分が助かることが大事で、それが「自助」ですけれども、助かった人たちと一緒に協力し合うのが「共助」。そして、最後に「公助」になるわけですが、それが来るまでの間、自分ができることをするという「共助」の力が、中高生にはありますからね。どんどん活躍してほしいなと思います。

Uターンを考えているひとたちにメッセージをお願いします。

本当に宮古もいろいろ変わってきているので、それを利用して、いろんなことにチャレンジしてほしい。都会から新しい何かを持ってきて、それを宮古で大きくしてもらえれば良いんじゃないかなと思います。

2024年12月取材

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