吉浜有輝さん

吉浜 有輝さん

Yuki Yoshihama

看護師

山口太鼓とともに育ち、地域の人とのコミュニケーションを愛する笑顔の看護師

PROFILE

1995年宮古市生まれ。5歳より山口太鼓の会に所属し、太鼓を叩き始める。宮古商業高校を卒業後、気仙沼市医師会附属准看護学校進学。2020年、宮古にUターンし、市内の民間病院に就職。週3回、山口太鼓の会の活動に参加。自らの練習に加え、最近では、子どもたちの指導も行っている。山口太鼓の会の先輩でもある父母と、保護犬ボブと暮らす。

大切なことはすべて山口太鼓から教わった

仕事の内容や毎日のルーティンを教えてください。

市内の病院で看護師をしています。日勤の日は6時半ごろ起床して、7時半には家を出ます。8時すぎに申し送りがあり、8時半から透析患者さんのケアがスタート。1時間半のお昼休憩を交代で取ります。お弁当を食べたら休憩室で寝ていることが多いですね。18時ごろに帰宅したら、愛犬ボブの散歩に行き、夕食を摂ります。週3日は、19時から太鼓の練習に参加します。2時間練習したら帰宅して、寝るのは23時ごろでしょうか。

充実の毎日ですね。吉浜さんが仕事のやりがいを感じるのはどんなときですか?

患者さんに「ありがとう」と言われたときでしょうか。透析患者さんとは、顔を合わせる時間が長いですから、毎日、他愛もない会話をします。コミュニケーションを取ること自体が好きなので、それもやりがいのひとつですね。

患者さんとのやりとりで印象に残っていることはありますか?

以前の職場は精神科だったのですが、入院患者さんから「眠れないから薬がほしい」と言われたんですよ。その時、薬を渡す代わりに「ちょっとお話しましょうか」と言って、30分ほどおしゃべりしたんです。しばらくすると、その患者さんが「もう睡眠薬いらないや」と言って眠りについたことを覚えています。話を聴くっていうことは本当に大切で、看護師も薬のひとつだと思っています。

優しく朗らかな看護師さんにお話を聞いてもらって、安心されたのでしょうね。では、大変だと思うことはありますか?

仕事は大変だとは思わないのですが、宿直明け翌日の日勤はキツイですね。若いからやれていますけど。

今後の夢や展望を教えてください。

コミュニティナースとして、訪問看護をしたいな、と思っています。これからは、病院だけが看護の場ではないと思うんです。看護師が地域に出向いて行く時代。皆さんとお話をしながらコミュニティに入っていくような、そんな看護師になりたいです。

吉浜さんは、本当に人とコミュニケーションを取るのがお好きなんですね。

大好きです。これも小さい頃から太鼓をやっていたからこそ、だと思うんですけどね。

いつから太鼓を始めたんですか?

5歳の頃からやっています。両親が山口太鼓の会で出会って結婚したので、お腹の中にいる頃から太鼓を聴いて育ったんですよ。生まれた日も夏祭りの日で、みんなに「太鼓の申し子」と呼ばれています(笑)。本当に小さい頃から練習に連れて来られていましたから、太鼓が遊びだったんですよね。木の棒があれば、大人の真似をして遊んでいました。

お腹にいた頃から!本当に太鼓が体に染み込んでいるんですね。

山口太鼓は楽譜がないので口伝えで練習するんですが、私の場合は、体に入っているというか馴染んでいる。
久しぶりに演奏する曲でも、体が覚えているもので、15曲くらいはすぐにできます。太鼓を叩いているときは、何も考えていません。考えなくても動きが出てくるんです。

その中でも思い入れのある曲はありますか?

「若衆ばやし」という曲です。小6から叩かせてもらっていた激しい曲で、ジュニアコンクールの課題曲でもありました。コンクールに出場できるラストチャンスの高校3年生のときに、岩手県で優勝して、全国大会に行った思い出の曲です。

素晴らしい思い出ですね。吉浜さんの思う太鼓の魅力ってどんなところでしょうか。

ひとつは、一体感ですね。山口太鼓は音だけでなく、激しい動きのある演奏が特長なので。あとはやはり、ここが見せ場!っていうところで、お客さんが反応してくれると手応えを感じます。皆さんの笑顔と拍手をいただくことを目指して一曲一曲叩いていますから。

お話している今もイキイキとされていますね。では、逆に大変なことなどはありますか?

一応、22年のキャリアはあるわけですが、大先輩たちに対して意見を伝えてもいい年齢なのか、迷うことはあります。敬意を払った上で「こうしたら良くなる」という意見をどう伝えたらいいか。たとえ意見がぶつかっても、それは真剣に取り組んでいるからこそだとは思っていますが。

先輩方への敬意をすごく感じます。吉浜さんにとって、山口太鼓とは?

私にとって、山口太鼓は家族です。生活の一部ですし、常に一緒にいるメンバーも家族のように思っています。礼儀やコミュニケーションなど、大切なことはすべて太鼓から教わってきました。

今後、どのように太鼓と関わっていきたいですか?

山口太鼓は、2022年に設立50周年を迎えました。もともと、地域を盛り上げるために始まったことで、50年かけて地域に根ざしてきました。それを今度は、私たちが次の世代に伝えていかなければいけません。宮古だからこそ叩ける太鼓になっていければいいな、と思っています。

素晴らしい展望ですね。仕事と太鼓で充実の日々かと思いますが、どちらもお休みの日には、どう過ごされていますか?

いつも動いていたいタイプなので、写真を撮ったり、キャンプや登山をしたり、草野球なんかもやります。ここ2年くらいハマっているのは、サウナです。

最近流行りの「サ活」ですね!

サウナって「メタボおじさんの里」というイメージだったんですが、弟が「『整う』って、すごくいいよ」と勧めてくれて。一人でも行きますし、太鼓の先輩と誘い合って行くこともあります。

吉浜さんのサ活ルーティンを教えてください。

サウナ、水風呂、外気浴をワンセットに、4〜5セット行います。サウナは1セット目は8分、次は10分…と、時間を伸ばしていきます。水風呂は1分、外気浴は10分くらいでしょうか。水分補給は、やはりオロポ(オロナミンCとポカリスエットを混ぜたもの)です。外気浴が気持ち良いんですよね。

大自然の中での外気浴は最高ですよね。

そうなんです。先日、盛岡の川沿いで行われたテントサウナのイベントに参加しましたが、とても開放感がありました。仙台からわざわざ参加しに来た方もいましたよ。

ご自分でテントサウナを設置するご予定などは?

地元が長沢なので、薪もありますし、それこそ大自然の中ですからね。セルフサウナ、やってみたいですね。

仕事に太鼓に趣味と、日々の暮らしをエンジョイしていらっしゃいますが、宮古の暮らしに不満はありますか?

特にないです。買い物はネットでできますしね。太鼓を通して宮古が好きになったし、感じるものすべてが気持ちいいので、きっと宮古が肌に合うんです。好きでここにいますから、不満はないですよ。

吉浜さんにとってのふるさととはなんですか?

「ただいま」って言って「おかえり」って言ってくれる場所でしょうか。実家も太鼓の人たちもそれが言い合える。ほっとする場所がふるさとですね。

では、吉浜さんにとっての希望とは?

次の世代が希望ですね。太鼓の子どもたちを指導していて、強くそう思います。自分が育ててもらった恩返しは、次へつなげていくことだなと。生きがいです。

最後に、Uターン、Iターンを考えている人たちへのメッセージをお願いします。

宮古の良さって、離れてみて初めて分かることだったりします。今いる場所から宮古に目を向けて、宮古を感じてみてほしい。きっと子どもの頃住んでいた宮古とは、感じ方が違っているはずですよ。

2022年9月取材

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