中沢翔馬さん

中沢 翔馬さん

Shoma Nakazawa

団体職員

消防団員、NPO理事、社会学者として宮古を縁の下で支えるトップランナー

PROFILE

1991年生まれ。宮古高校を卒業し青森大学社会学部入学。在学中に東日本大震災が発生し、父親が消防団員だったこともあり「消防団と地域」をテーマに研究。筑波大学大学院人文社会科学研究科で同研究を深め、修士号を取得。2016年にUターンし、岩手県農業共済組合に就職。同年、宮古市消防団第9分団に入団。2018年、震災ボランティア時代から縁のあったNPO法人みやっこベースの理事に就任。妻と2022年11月に誕生した息子と3人暮らし。

地元のことは地元でやる。
それが当たり前のこと。

まずは、仕事の内容や毎日のルーティンを教えてください。

岩手県農業共済組合で、農家さん向けの保険を扱ったり、組合員向けの広報紙の記者として、原稿を書いたりしています。7時前に起床し、朝食と昼食用の弁当を二人分作ります。8時に出勤し、デスクワークのときもあれば、農家さんを訪問したりなどして17時15分に終業。夏はみやっこファーム(後述)という畑に行って作業し、18時半ごろ帰宅します。夕食を取り、お酒を飲んでいない日は20時頃からランニングに出たりもしますよ。

農家さん相手のお仕事で、やりがいを感じるのはどんなときですか?

自分も農家の出身なので、農家さんの想いに共感できることは強みですね。広報紙の担当でもあるので、それぞれの農家さんの営業に対する思いを伺って記事にしますが、反響があるとやりがいを感じます。若い農家さんを紹介したときに「地元で頑張っている若い人がいることを知れて良かった」という反応があって、嬉しかったです。

広報の仕事をしていて、印象に残っていることはありますか?

2019年の台風19号で、収穫した米を保管していた倉庫が浸水し、収穫した米の半分近くが水に浸かってしまった米農家さんがいました。それを知った近隣のベテラン農家さんが、「もみの状態だし、水に使っていた時間が短いから乾燥機にかければ大丈夫」と、協力を申し出て、自分たちの乾燥機で丁寧に乾燥させたんです。その米は検査にも通り、無事に出荷することができました。そのことを取材して記事にしたところ、反響がとても大きくて。書いてよかったなと思いました。全国の記事賞も受賞したんですよ。

今後、全国で浸水被害があったときには、希望を捨てずにいられる情報ですね。中沢さんの今後の展望や夢を教えてください。

生産者とのやり取りの中で、いろいろなスタイルの農家さんを知ることができましたから、今度は自分も作る側に回ってみたいなと思います。子どもの頃から実家を継ぐことは頭にありましたが、大人になって、よりリアリティが出てきました。若い農家さんたちに刺激を受けましたからね。

ご実家を継がれるんですね!中沢家の美味しい野菜のファンとしては嬉しい限りです。ご両親とは仲が良いんですね。

昔から父と釣りに行ったり、山歩きをしたり山菜採りをしたりしてきましたね。今でも誘い合って出かけますが、最近は仲間と遊びに行くことが増えました。山菜を採りに行って、みんなで天ぷらを揚げて食べるんですよ。インターン生など都会の子たちを連れて行くと喜ばれますね。

楽しそうですね。都会の人たちだけでなく、宮古の人でも山菜採り未経験者は多いですからね。

私は子どもの頃から父に連れられて採っていましたから、山菜を見分けられるし、どんな場所に生えているかが分かります。私にとっては当たり前すぎて、「そんなもん?」という感覚ですが、すぐそこに山がありますから、気軽に行けるのがいいですよね。最近ではカメラを持っていって、良い写真スポットを見つける楽しみも増えました。

先ほどのルーティンの中でも、ランニングの話が出てきましたが、外に出たり体を動かしたりすることがお好きなんですか?

そうですね。1日何もしない休日はもったいない気がするので、そういうときには走りに行きます。旅行で違う土地に行っても走りたくなります。温泉旅行に行っても「せっかくだから走ろう」って。

旅行先でもですか!ランニングのどんなところが魅力なのでしょう?

中学、高校と陸上部でしたから、走ることはシンプルに好きです。85%のペースで走るのが気持ちいいんですよね。海の方まで行くと、風が抜けてとても気持ちがいいです。

やはり、宮古サーモンハーフマラソンには出場されるんですか?

小学生の頃から出ています。2016年に帰郷してからは、毎年10キロの部に出場していますよ。一度、盛岡のシティマラソンでフルマラソンに挑戦しましたが、ヘトヘトになっちゃったので、またリベンジしたいですね。

さて、中沢さんの地域活動についてお伺いしたいのですが、まずは消防団のお話を聞かせてください。

9分団に所属しています。父が消防団員でしたから、小さい頃から親しみがありますし、中学生の頃の夢は消防士になることでした。大学、大学院では、消防団のことを研究テーマにしていました。

帰郷されてすぐに入団されていますが、火災や災害現場へは出動されましたか?

火災は5〜6件、台風の災害対応もしました。訓練していますから分かっているつもりでも、実際火を前にすると、意識が火に行ってしまいますね。「火事場のクソ力」って本当で、ホースの水圧にも負けずにいられますし、向かい側からの放水でびしょびしょに濡れても耐えられるんです。アドレナリンが出まくるのか、普通の生活に戻るのが大変ですけどね。

現場は本当に大変そうですね。それでも活動を続けるモチベーションは何でしょうか?

地元のことは地元でやるという意識が強いのかも知れません。あと、台風などで知人宅が被災したら、見て見ぬふりはできませんからね。あと、父も消防団員ですし、職場も消防団協力事業所ですから、家族にも職場にも理解があるので活動しやすいというのもあります。

今後の消防団活動の展望を教えてください。

なにもないことが一番ですが、有事に落ち着いて対応できるように技能を身につけていきたいです。現場に出たときには、若手のリーダーとして活躍できるようになりたいです。

地域活動としては、消防団のほかに山口青年の会などにも所属されていますよね。

はい。川掃除や盆踊り、お祭りなどを中心となって行います。昔から、「祭りは行くものじゃなくて、やるもの」でした。地元の仕事が多いですね。父譲りで、断れない性格なのかも知れません。

中沢さん世代の人が、地元で活躍されているのは素晴らしいです。そして、NPO法人の理事でもあるんですよね。

「NPO法人みやっこベース」で、若者たちが宮古に愛着を持ち、宮古を盛り上げていけるような活動をしています。
教員免許は持っていましたが、教育分野や若者の活動に携わるとは思っていませんでした。東日本大震災のボランティア活動で、代表の早川輝と出会ったことがきっかけで始めました。最初は、帰省するたびに顔を出す程度だったんですが、Uターンしてからはサポーターとして関わり始めました。理事に就任したのは、2018年です。

活動をしていて、印象に残っていることはありますか?

全国的な取り組みで、高校生が課題を見つけて取り組んでいく「マイプロジェクト」という企画があるのですが、2021年の宮古北高校での活動が印象に残っています。ひとりの男子生徒が、幼稚園時代に東日本大震災に被災。
当時の中学生に腕を引っ張り上げられ、山に逃げて助かったという経験をしていました。引っ込み思案で、雑談もできないような子だったんですが、防災をテーマに掲げて活動をしたら、きちんと自分の言葉で語れるようになっていったんです。岩手県大会で発表したり、中学生の授業で話したりなど、素晴らしい成長を見せてくれました。あと一歩を踏み出せなかった子が、前を向いて歩き始めた過程を見られたことが嬉しかったですね。

素晴らしいですね。地域に深く関わっている中沢さんの、みやっこベースでのやりがいは?

地域に愛着を持っている子たちは確実にいて、自分も同じ感覚を持っているのでサポートしがいがあります。
さっきの子のように、想定以上の何かを見せてくれると、とてもやりがいを感じます。

消防団、青年の会、みやっこベースなど、宮古で地域活動をする利点は何だと思いますか?

このくらいの規模の市だと、バッターボックスに立つ機会が多いんですよね。やりたいことにチャレンジしやすいし、結果も見えやすい。自分がやりたいこととみんなのやりたいことが合えば、どんどんチャレンジしたいですね。
今年から始めたのは、子どもたちの農業体験の場「みやっこファーム」です。実家の近くの畑を借りてスタートし、種まきから収穫まで、親子で体験してもらいました。

今後の夢や展望を教えてください。

若手が活躍しやすい街だと、街の質も上がっていく。そんなふうに、宮古が良くなっていくお手伝いができれば嬉しいですね。

続いて、宮古への思いを伺います。宮古の満足ポイントや不満ポイントを教えてください。

人に恵まれて、地域に育てられたという意識が強いのですが、宮古では、何かのきっかけで出会った人が、別のところでも会うことができますよね。仕事で出会った人と地域活動でも会うとか。それがすごく宮古的で良いところだと思います。不満ポイントは、その近さゆえに、折り合いをつけてうまくやっていかなければいけないことですね(笑)。

中沢さんにとって、ふるさととは?

実家が農家で、祖父も父も地域の活動をしてきたんですよ。寺や神社、山など、常に地元と関わってきている家で、私は育ってきました。小さな頃、「かせぎと(働き者)だね」と言われながら、家の仕事を手伝っている思い出が原風景であり、ふるさとですね。大人になってから、菩提寺と実家のつながりについての歴史を知り、そういう場所で生きてきたんだなと実感しました。

中沢さんにとっての希望とは?

やっぱり「人」なのだろうな、と思います。魅力的な人がいることが宮古にとっての希望ですね。そこにいる自分としては、考えさせられたり何かに巻き込まれたりして、忙しくてしんどいけど、最終的に「楽しい」と思えることが、希望なのでしょうか。

最後に、Uターンを考えている人たちへのメッセージをお願いします。

人がおもしろいよ、ということを伝えたいです。一人、二人だけでなく、それぞれのジャンルでおもしろい人がたくさんいる。ネクスト世代も増えてきていますし、世代融合も起こってきていますので、これからもっと楽しくなっていくと思いますよ!

2022年9月取材

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