小幡 勉さん

Tsutomu Obata

飲食店経営・福祉事業所所長

オートバイでツーリング、車でドライブ、宮古の暮らしを満喫する飲食店経営者

PROFILE

1948年8月27日生まれ。東京都目黒区出身。1969年武蔵工業大学中退。高校時代、憧れがあったバイクの免許を取得。1978年、宮古に移住し、翌年に焼鳥店「鳥もと」を起業。2012年、就労継続支援A型事業所鳥もとを開設。妻、犬1匹と暮らす。

宮古にはこんなにたくさん、いろんなものがあるよ。

お仕事の内容を教えてください。

仕事はね、僕、顔が3つあるのかもしれない。1つ目は焼鳥屋の「鳥もと」のマスター。2つ目は、レトルト食品を作っている工場のオーナー。そして3つ目だけど、この2つは障害を持っている人たちが働くための福祉事業所なのね。だから、福祉事業所の所長でもあると。あともうひとつ、遊ぶのが大好きなおじさんという4つ目の顔もあるよ(笑)

毎日のルーティンを教えてください。

朝、8時頃に起きて、犬といっしょに近くの遊歩道を小一時間散歩するでしょ。そして、10時半に出勤。ランチタイムにインド料理を出しているので、その仕込みをしたり、レトルト食品の販売やお客様とのやり取りををしたり。17時半にお店をオープンして、だいたい21時頃には帰宅します。帰宅後は、風呂に入ってビール飲んで寝る、という感じかな。

仕事のやりがいは何ですか?

美味しいものを作って出して、お客さんに喜んでもらうことだね。けっこう人気のあるお店でね、やっぱちゃんとしたものをだそうと思っているから、いわゆる添加物を使わないものを作っているんだよ。そして、焼き鳥はお店に来てもらった人しか食べられないけど、レトルト食品だったら遠くの人にも食べてもらえるよね。うちの商品は、NYでも売られているんだよ。岩手の良い食材を使って宮古で作ったものをね、海外でも喜んで食べてもらっている。そして、喜んでもらって得たお金で美味しいものを食べたり、遊んだりすることが楽しみだよね。

お仕事をしていて、印象に残っていることを教えてください。

昔、焼鳥屋のお客さんに養護施設の施設長がいて、「3人の生徒たちに、店で実習させてもらえないか」って言われたのね。つまり、義務教育を終えた障がいを持つ生徒たちを預かってもらえないかと。いいですよって了承して、来てもらった彼らに焼き鳥の串に肉やネギを刺す作業をしてもらったんだよ。
でも、一生懸命やっているんだけど、やっぱりうまくできなかったり、時間がかかったりするんだよな。ぜんぜん売り物にならなかったんだけど、楽しそうにやっているし、なにかの縁だからって1日おきに来てもらっていたの。そして、半年くらい経ったある日、ふと見たら1人がきれいな焼鳥の串の山を作っていたんだよ。びっくりしてさ。「何だよお前!」って(笑)知らない間にできるようになっていたんだよね。
でも、なんとなくできるようになったわけじゃない。その子は、ちゃんとしたものを作ろうって努力し続けていたんだよね、一生懸命さ。そして、1人ができるようになったら、あとの2人もたちまちできるようになった。それが、仕事において感動した瞬間。
そうやって、仕事に一生懸命向き合う若者たちがいたことがさ。
でも、そういう障害のある人たちって、当時は仕事が全然なかったんだよ。だから、この人たちに仕事場を作ってあげようと思って、カレー屋を始めたの。
努力した若者に対して、ちゃんと評価して対価を与えるっていうのは、大人の仕事だと思ったから。それは本当に彼らから学んだことだよね。

そんな中で、大変だったり、辞めたいと思ったりしたことはありますか?

大変なことっていうのは、いつだってあるんだよ。でも、深刻にならないというかさ。やりたくて始めたことを辞めたいっていうのは、整理すればどこかでボタンの掛け違いがあるわけで、それをどう調整しようかってことじゃないかな。

始めたくて始めたとおっしゃいましたが、焼鳥屋さんを始めようと思ったきっかけを教えてください。

僕は、東京の目黒の出身なんだけどね。田舎暮らしをしたいなと思って、宮古に来たわけ。最初は、会社勤めして給料もらおうなんて思ったけど、なかなか就職先がなくて。食うに困って、じゃあ焼き鳥屋さんって簡単で良いかなと思ってね。手っ取り早くできる商売ってことで始めたんだよね。やっているうちにだんだん大きくなってきたけど、最初は3坪のスペースを借りて、開業資金17万円で始めたんだよ。「鳥もと」っていう名前の由来はね、オートバイ好きからきてるの。モーターサイクルって「モト」って略したりもするでしょ。だから焼鳥の「鳥」にくっつけて「鳥もと」にしたんだよ。

そもそも、宮古に移住しようと思ったきっかけは?

東京にいた頃、オートバイで信州から東北1周旅行をしたことがあって、この辺にも来たんだよね。お昼ごろに到着したとき、疲れて眠くなって、お寺の縁側で昼寝していたんだよ。そしたらお坊さんに声をかけられて、事情を話していたら、お水を持ってきてくれたりしてね。そんな思い出があって。で、移住の計画を立てているときに、いろんな候補はあったけど岩手がいいな、と。当時、千昌夫や新沼謙治が出てきた頃で、岩手が取り上げられている頃だったしね。誰も知り合いはいなかったけど移り住んで、そこから40年以上だもんね。

今後の展望、夢はありますか?

今後の夢はもう、いかに早く仕事から離れて、悠々自適な老後を送るかってことかな。本当はもう老後っていう年齢なんだけどな(笑)。

では、趣味についてお伺いします。仕事以外の時間は何をしていますか?

趣味がね、オートバイで遊んだり、車でどっかドライブに行ったりすることなんだよね。そのための修理をしたりしている。僕たちの時代は、オートバイや自動車は憧れであって、夢のアイテムだったの。だから、高校のとき、体育祭の代休で月曜日が休みの日に、原付一種っていう免許を取りに行ったことを覚えている。そして、スクラップ屋さんで使えなくなったオートバイを500円で買ってきたの。今なら2~3,000円とかかな。自分で直して乗れるようにしたんだよ。

オートバイの魅力、楽しいところはなんですか。

自転車の延長なんだよな、オートバイって。乗るのが楽しいっていうのもあるけど、オートバイって、まず直すところからなんだよ。僕は機械をいじるのが得意で、そういう意味でもオートバイっておもしろいんだよな。

その趣味を宮古でする利点はなんですか。

都会で街の中を走るのも楽しいけどさ、オートバイって舗装された真っすぐな道路じゃなくて、カーブしたところを右、左って走るのが楽しいんだよ。宮古には、そんな道がなんぼでもあるってことだよね。あと、オートバイをしまっておくガレージも、土地がたくさんあるから簡単に建てられるしね。

ツーリングのお気に入りのコースはありますか?

夏屋に行って釜津田で降りて、おばあちゃんがやっているスパゲッティ屋の「ぶるっく」っていうところで昼飯を食べて、岩泉にぬけて帰ってくると。そういうコースが好きだね。

宮古での暮らしの満足ポイント・不満ポイントを教えてください。

来たばかりの頃、「なんで東京から宮古に来たんですか?何もないじゃないですか」って、よく言われていたんだけどね、「とんでもない!こんなにたくさん、いろんなものがあるところはないよ」って言っていた。もちろん東京はさ、お金があれば、楽しいことたくさんあるんだよな。でも、宮古は、山を散歩したり、海や川で遊んだり、お金かかんないじゃん。だから自分が楽しもうと思えば、なんぼでも楽しめるんだよ。不満ポイントは特にないかな。

小幡さんにとって、ふるさととは?

東京には縁があって仕事関係で行ったり、それから家族に会ったりするんだけど、2、3日すると、宮古がいいなって思うんだよな。だから、生活の場所としては、やっぱ宮古がいいなって思うけど、ふるさとは東京目黒なのかな。

小幡さんの希望は?

さっき言った通り、早く仕事を従業員に任せて、悠々自適にカミさんとオートバイで旅行に行っちゃおうと(笑)

UターンやIターンを考えているひとたちにメッセージを。

今はいろんな移住の制度があるからさ、やりたい事をどんどんやることだな。やっぱり、やろうという気持ちが大事だからね。

2024年12月取材

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