金丸 久子さん
Hisako Kanamaru
主婦
都会から宮古へ…ボランティアを通じてみんなの笑顔を見守る専業主婦
PROFILE
1943年生まれ、神奈川県出身。1969年、第2の故郷宮古市へ移住し、以後ボランティア活動に参加。家庭の事情により東京、神奈川、アメリカで暮らし、宮古に戻る。「宮古地区更生保護女性の会」会長、「宮古市赤十字奉仕団」委員長をしている。家のことや趣味を楽しみながら夫と2人で暮らす。
めぐり会い、助けてくれた多くの人へ感謝を
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お仕事内容と1日のルーティンを教えてください。
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掃除や洗濯など家のことをしています。起きたら掃除、ごはん、そのあと友だちとコーヒータイムでゆっくりします。洗濯、草むしりなどをしながら午前中を過ごし、お昼ごはん。花を植えたりして、またコーヒータイム。年中、家に人が来るんですよ、そのたびにコーヒータイムを楽しんでいます。
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専業主婦のやりがいを教えてください。
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片付けをしていて、気になったところがきれいになったりしたときもそうですし、庭で育てている野菜がたくさん収穫できたり、お花がきれいに咲いたとき、やりがいを感じますね。
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大変だったことや、やめたいと思ったことはありますか?
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いえ、特に大変だと思ったことはないし、やめたいとも思ったこともありません。
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金丸さんみたいに素敵な人になるにはどうしたらいいですか?
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そうですね、例えば私なら、ボランティアでやってきたことなどを大事にしたり、友だちや周りの人を大事にしています。また、私たちのボランティア団体のように、様々な自主研修を行い、自分たちを高めることも、それに繋がるひとつだと思います。
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家事以外の時間は何をしていますか?
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宮古地区更生保護女性の会会長、宮古市赤十字奉仕団委員長、宮古市ボランティア連絡協議会会長など、主にボランティア活動をしています。あとはドライブとか、花や野菜作り、ジャムなどのお菓子作りです。量をしっかり計れば失敗しないのでお菓子作りは好きですね。
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ボランティア活動を始めたきっかけはを教えてください。
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娘が先天性の脊髄の病気をもって生まれ、「治るのは難しい」と言われました。だからといって諦めるわけにはいかず、手探りでたくさんの病院を探しました。当時はインターネットもないですから大変でしたよ。でも、その中で出会ったたくさんの人たちが、私たちを助けてくださいました。知らない土地に行った時、そこで出会った人が、私たちの事情を知って、お寺に泊めてくれたこともあります。おかげさまで、娘は今も元気で、夫と子どもとアメリカで暮らしていますよ。その時助けていただいた皆さんへの感謝の気持ちが、ボランティア活動をするきっかけとなりました。
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そんな経緯があったんですね。活動年数はどれくらいですか?
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20年くらいになりますかね。宮古に来る前もやったことはありますけれども。
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ボランティア活動の魅力や嬉しかったことなどを教えてください。
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社会やいろいろな人とつながれるところが魅力だと思います。また、更生保護女性の会で子ども食堂の調理ボランティアをやっていますが、やはり、子どもたちの笑顔を見れることに嬉しさを感じますね。先日、私の誕生日に、子どもたちが大きな声で「ハッピーバースデー」を歌ってくれたんですよ。人生で一番嬉しい誕生日でした。
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それは嬉しいですね。ボランティア活動は今後どんな風にしていきたいですか?
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コロナが収束し、これまでの活動ができるようになればいいですね。また、ボランティアの会員を増やして次のリーダーへ引き継ぎたいと思います。でも、体力が動く限りは続けたいですね。
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宮古での暮らしの満足ポイント・不満ポイントを教えてください。
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満足しているところは、何より人があたたかいことですね。隣近所の付き合いが良く、いつでも助けてくれることは、都会にはないところだと思います。
不満なところは、服を買うとき都会に比べて種類が少ないとこです。あと、バスの本数が少ないですね。車が運転できなくなった時のことを考えると不便だと思います。
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金丸さんにとって、ふるさととは?
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懐かしくて大事なところですね。思い出すだけでいいところです。
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金丸さんの希望は?
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何よりアメリカに行って、子どもや孫に会いたいです。コロナや円安の影響で、なかなか行けませんが。あとは今、物価高で何もかも高くて困っているので、少しでも落ち着いてほしいです。
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Uターンを考えているひとたちにメッセージを。
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都会はいいところだけど、歳をとってゆっくり暮らすと考えたら、宮古が一番だと思います。何より人があたたかいので、ぜひ帰ってきてほしいと思っています。
2022年9月取材