栗橋 くみ子さん

Kumiko Kurihashi

紙漉き職人

途絶えた「へかわがみ」を語り継ぎたい、宮古の紙漉き職人

PROFILE

1957年生まれ。宮古市出身。小学3年生から中学1年生まで盛岡で暮らし、また宮古に戻る。宮古高校卒業後、文化服装学院大学入学。盛岡文化服装学院で2年働いたのち帰郷。生花店、写真店、新里村社会教育指導員、宮古市公民館主事などを務める。2012年5月に紙漉き屋「群青」を開業。一度途絶えた「閉伊川紙(ルビへかわがみ)」という名を残すべく、日々活動中。

振り返ると必ずある。そんな場所になりたい

では、まずに仕事についてお伺いします。仕事内容を教えてください。

紙漉き屋「群青」で、手漉き和紙「閉伊川紙」を昔ながらの方法で作り、販売をしています。これで「へかわがみ」と読みます。消えかかっていた閉伊川紙の名を語り継ぎ、和紙の良さを伝えることを目的に活動しています。閉伊川紙に関して、残っている資料はほんのわずか。実際に漉いていた方も工程を全部知っている方もいませんでした。それで、さまざまな和紙職人とお話をして、当時の様子を想像しながら模索しています。

紙漉きに興味を持ったきっかけはなんですか?

公民館の裏に楮が自生しているのを知り、体験教室等は始めていましたが、どうしてもやりたいと意識したのは東日本大震災がきっかけです。震災当時、働いていた宮古の公民館併設の体育館が遺体安置所になりました。「怖い」という人もいましたが、私は震災の一週間前に父を亡くしたばかりでしたから、亡くなった方々が全員家族のように感じられました。供養のために私にできることは何かと考えたら、漉いた紙に自分の想いを書いてもらったら、残された皆が自分と向き合えるのではないかと。灯籠はふつう川に流しますが、津波に流されて冷たい思いをした人もいるでしょう。それで、お焚き上げして天に上ってもらおう、残された皆の気持ちも空に届けよう、ということになりました。お焚き上げの日、200人くらい集まったんですが、火を灯したあと、炊き上げたら火が1メートルほど上に長くのびたものがあったんです、シュシュシュ!って。「みんなの気持ちが空に届いた」って、みんなで泣きました。これが始まりですね。

被災された方を思う気持ちが伝わってきました。栗橋さんは、閉伊川紙を作り始める前に、東山和紙を学ばれたそうですね。東山和紙は工程や道具などの情報もあり、そちらの方が取り組みやすかったはずですが、なぜ閉伊川紙を選ばれたのですか?

住んでいるのは宮古だし、もともと閉伊川紙を辿りたかったので。途絶えて聞くことができなくて困っていた時、東山和紙の短期講習があると聞き、基本を知りたいと話して、受け入れてもらいました。宮古に楮の木が自生しているのは、それらを使った名残だと思うと愛しいし、閉伊川紙という名が消えるのはもったいないと思っていたので、東山和紙に取り組むという意識はなかったです。

紙漉きをする中で、大変だったことはありますか?

体調が悪かったときですね。腰痛で歩くのもつらい時期があったり、脳出血で絶対安静だったり。実は脳出血と分かる数日前に、黒森神社から依頼をいただいていたんです。幸い後遺症も軽く済みましたし、納品が2年後だったため、紙漉きを再開し、納品できました。それ以来黒森神社には、さまざまなところで紙を使っていただいています。「宮古の材料で宮古の人が漉いているっていうのが一番だろ」と言っていただけるのが嬉しいです。

100%宮古産というのがいいですね。今後の展望や夢を教えてください。

もう少し紙漉きを続けていきたいです。もともと、10年続けたら「栗橋とかいうやつが作っていたものが閉伊川紙だったよね」と噂になったら閉伊川紙と言う名が消えるのが15年ぐらい先に延びるかなと思って始めたんです。それからもう15年経ちました。あと5年続けられたら、自分の中で「がんばったじゃないか」と言えるような気がしています。

紙漉きをしている以外の時間はどのようなことをされていますか?

紙漉きは天気仕事なので、余暇との線引きが難しいんです。楮ラブだからいつも考えているし。でも、いろいろな方々が訪れてくださるので、その方たちとのおしゃべりを楽しんでいます。和紙を見せて話をしているうちに、悩みがでてきて、2、3時間経ってしまうこともあります。その間、作業は出来ないけれど、いらした方がなんかすっきりしたと帰っていくのを見ると、これはこれでありかな、と思います。

では、最後に宮古について伺います。栗橋さんが思う宮古の暮らしの満足ポイントを教えてください。

自然が身近なことです。畑にゴロンと転がって空を眺め、雲の流れる速さを見ていると、気分を切り替えられますよ。私にとっての「住めば宮古」は、群青がある、かなぁ。

栗橋さんにとっての「ふるさと」とは何ですか?

若い頃には振り返ったら、いつも変わらずに存在している場所でした。娘が宮古を離れるとき「悩んだり迷ったりしたら、一回後ろを振り向いてみてもいいんじゃない?そこにお母さんはいるから。」って言ったんです。私にとってふるさとは、我が子に限らず帰ってくる人を笑顔で迎える場所なんだと思います。

では、栗橋さんにとっての「希望」とは何でしょうか。

毎日が普通に過ぎることかな。以前は、毎日がすごく良い日じゃないととか、わくわくしていないとダメ、って思っていた時期もありました。でも、そうではないかなって今は思います。毎日どうしたって波がありますから、普通に終わるのが何よりかなって。

では、最後にUターンを考えている人たちにメッセージをお願いします。

今の宮古はどんどんお店も少なくなって、寂しい状態になってきていますよね。ですから、簡単に「帰っておいで」とは言えません。でも、何もないからこそ、自分で作り出せるっていうこともあります。宮古の人たちは、自分からおせっかいしには来ないと思うので、勇気を出して声をかけてみてください。そうすればきっとみんなが応援してくれます。そうやって、若い人たちには、宮古にチャレンジしに来てほしいですね。それと、私は過去にいろいろな職業を経験していますが、その経験がすべて、今の紙漉きの仕事に役に立っています。ひとつのところでじっくり働くというのも良いけれど、最初に選んだ場所が自分に合っているかなんて分からないでしょ。悩んだら方向を変えてもいいですよね。若い人には、いっぱいチャレンジしてほしいです。

OTHER STYLES

前の記事
大原 愛さん
Ai Ohara
団体職員

文化会館でイベント企画からアテンドまでこなす、御朱印好きのディレクター

次の記事
井村 泰誠さん
Taisei Imura
三陸鉄道運転士

長年の夢を叶えた運転士は、三陸鉄道の名を背負って走るロードレーサー

次の記事
坂下 晃子さん
Akiko Sakashita
雑貨店経営

楽しいものやワクワクするものを探して提案し続ける、うみどりマルシェ主催者